ラノベ作家への道

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三島由紀夫

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三島由紀夫の俺TUEEE!なラノベ感覚。


 作家の三島由紀夫といえば何かどうもラノベ作家やライトノベル愛読者にウケがいいような気がする。

 大江健三郎がラノベ界隈では難しい文章で悪文で読者がつきにくいが、三島作品とラノベ作品に熱心な読者が多いのは気のせいか?

 三島由紀夫が『豊饒の海』で輪廻転生でラノベ的な世界観を書いているので、ラノベ作家や読者がすんなり三島作品を受容できるのもあるだろうし、『奔馬』の飯沼勲が憂国の精神に目覚めて司馬遼太郎の歴史小説のように憂国の義挙を成し遂げて自決するシーンが妙に印象深い・・というのもあるのか?とも思う。

 大江健三郎の『セブンティーン』は社会党の浅沼委員長を暗殺する陰画のような暗黒面を小説で書いているが、三島由紀夫の『奔馬』の2巻は英雄的な日輪のような行動右翼のヒーローのような筆致だ。

 何かライトノベルでいえば俺TUEEE!の心情を三島由紀夫あたりは純文学で表現していて、輪廻転生でほくろが3つの話でラノベというかネトウヨというか愛国保守派の気持ちを代弁しているのか?とも思えてくる。

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大江健三郎の三島由紀夫を悪にするラノベ的な構造。


 大江健三郎といえば三島由紀夫を悪にしないと物語が成立しないような作家でもあるらしい。

 三島由紀夫を悪とか悪魔とか悪の大魔王のようにして大江健三郎の作品は小説が成り立っているとも思えてくる。

 一種のライトノベル的な悪役の役割が三島由紀夫の自決事件といえば確かに本人に投影されているのではあるまいか?

 もちろん大江健三郎はライトノベル作家ではないし、大江作品にラノベ的な要素があったとしてももちろん大江作品はライトノベルとは本人は考えていないだろうし、純文学と考えるのが当然ではあるが。

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ラノベと中二病と三島由紀夫の小説。


ラノベといえば中二病。

『中二病に恋をして』ではないが多かれ少なかれラノベは幼稚な世界でもある。

現実に中二病な考えがラノベには絶えず流れていてスラング的な揶揄の対象でもあるらしい。

ラノベとは別の三島由紀夫や太宰治の小説も中二病的な心をこじらせた話というのも一理ある。

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三島由紀夫の『豊饒の海』とライトノベル小説。


しかし・・・・考えてもみれば大江健三郎より三島由紀夫がラノベ作家に好まれるといえば一理ありだ。

大江健三郎の『万延元年のフットボール』より三島由紀夫の『豊饒の海』がラノベ的な壮大さもあるともいえる。

大江健三郎の『万延元年のフットボール』がライトノベルでいえば森林のファンタジーのような難解な小説でもあるが三島由紀夫の『豊饒の海』はまさにライトノベルの王道をいくような輪廻転生の話でもある。

特に『豊饒の海』第2巻の『奔馬』の飯沼勲が神風連神話に心酔して最後には三島由紀夫本人を思わせるように自決するシーンは三島ファンには心に残る作風というしかない。

もちろん大江健三郎にいわせれば三島由紀夫は戦前の226事件や『セブンティーン』の右翼テロに心酔して社会党の浅沼委員長暗殺事件を彷彿とするような三島作品は危険なファシストであり、戦後民主主義へ対する冒涜と思ってもいたようだが・・・

しかし、今、考えてもみれば『豊饒の海』の『奔馬』はライトノベルの冒険小説のような話でもある。

人によっては中間小説の司馬遼太郎作品の『燃えよ剣』のような行動派であり、愛読者になるのもまたうなずける。

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ラノベ作家で三島由紀夫のように自決した人はいない。


ラノベ作家は単なる娯楽・・・エンタメであって純文学作家ではない。

純文学作家では芥川龍之介や太宰治や三島由紀夫のように自殺や自決をした人は多い。

しかし・・・ラノベ作家で自殺や自決をした人は一人もないのではないか?

最もラノベは単に萌える絵師とワンパターンなテーマで何となく話を書いているので人生の意味とか憂国とは無関係だろう。

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